試される父性 『そして父になる』(2013)
|血が繋がっていなかった親子
福山雅治の息子が、実は血が繋がっていないと判明。
実は看護師の手違いで、取り違えられていた。
本当の父親役が、リリー・フランキー。オモチャ屋の経営者である。
「本当の子どもだ」
と言われ、紹介されたのは、見るからにハナタレ小僧だった。
|食い違う父親観
愛情をうまい具合に注げない福山。
子どもも分かっているのかして、どこかよそよそしい。
「帰っていいですか?」
家の中でも敬語だ。
「うちはなんでも一人でやれと教えている」
という福山に対し、
「子どもは時間をかけるべきだ」
と、リリーも譲らない。
「自分にしか出来ない仕事があるので、それを処理しないと」
と福山。
「父親だて、取り替えの利かない仕事だろ」
と、リリー。
二人の状況を知っているだけに、このセリフは重い。
|創作ポイント:アンチ血筋もの?
ラノベやなろうで度々問題になるのは「血筋」だ。
「あのキャラは栄誉ある血筋だから強い」
「血筋関係ないキャラとか燃えるよね」
だが、本作は血筋こそがテーマだ。
「血筋って本当に両親との繋がりに必要なのか?」
というのが、主題となっている。
序盤での伏線として、リリー・フランキーはドリンクのストローをかじる。
その息子のストローも、同じように潰れていた。
それが、福山にとって強烈に記憶される。
実の息子が、相手の父親に似過ぎていると。
そんな子どもを、自分は愛せるだろうかと。
福山氏は父親から、
「本当の息子に会ったとき、お前に似ていたと感じただろ?」
と指摘される。さらに、「似ていたんだろ?」と図星を突かれた。
強がってはいるが、心のどこかで分かっているのだ。
リリーはオモチャ屋なので、壊れたロボットを直せる。
育てた息子が、相手に懐いている。
しかし、福山には、相手の育てた息子のラジコンカーを直せない。
「新しいのを買おう」と子どもに言う。
向こうの親のことを語ると、福山氏は息子を叱った。
出来ることと出来ないことが、父親によって違う。
ラスト、父親と息子が違う道を歩いているシーンは、非常に深みがある。
二本の分かれ道、息子の方は坂を登っている。
対して、父親の方は下っているのだ。
二人の間には、柵がある。手を伸ばしても届かない、触れられない。
どんどん成長して離れていく息子と、老いていく親。
リリー氏は「子どもと接した時間こそ大切」と語った。
結局、福山親子も時間を意識するようになる。
|まとめ
キャラの特性を決めるのは、血筋ではない。環境である。
●余談
これを見る前には、是非『凶悪』を是非見ていただきたい。
リリー・フランキー氏が悪役として出ているので。
これの後に、『scoop!』を見ていただきたい。
福山氏がアウトローのマスゴミとして出ているので。