エンドロールの片隅に 『この世界の片隅に アニメ版』(2016)
|戦時中、呉に嫁いだ少女の日常。
絵が好きだった少女すずが、呉へ嫁いでいった。
だが、慣れない主婦生活。
「北条さん」と聞かれても、自分だと気づかない。
婦人会でもドジを踏む。
なにか、ぼんやりしている感じのすず。
小姑が帰ってきた。
トロいすずの代わりに、家の用事をテキパキとこなす。
姑との会話で、主人公すずが、小姑のことを「モガ」というが、モガとは「モダンガール」という意味。
クラウドファンディングで資金を募って完成したことも、話題になった。
アニメ映画だが、2018年7月期にTBS系の「日曜劇場」枠にてテレビドラマ化もされた。
|戦争映画なのに、妙な明るさがある
アリよけのために、主人公は砂糖入れを水瓶の中に浮かせ、誤って沈めてしまう。
広島の闇市に向かうことになった主人公は、法外な砂糖の値段に愕然とする。
「キャラメルが百円でも買えなくなって、靴下が三足千円になる時代が来るのかな」
と想像するシーンが、今の世相を予言していてクスリとさせられる。
戦争そのものより、戦争を介しての生活を描いた作品だ。
戦争を美化もせず否定もせず、反戦感情も煽らない。
主人公は絵が趣味で、キャンパス上から世界を見ているという描写が見られる。
「戦争はあるけど、たくましく生きている」
という強調もなく、物語はまったりと進む。
|エンドロールが本編
話の中盤で、主人公は闇市の帰りで道に迷ってしまう。
変わった少女が、主人公に道案内をしてくれる。
彼女は遊郭で遊女をしていた。
印象的な姿で現れる彼女は一体何者なのか。
その答えは、EDに隠されていた。
キャスト紹介の片隅で、彼女が何者だったのかが描かれるのだ。
「ああ、あの子だったのか!」
と、誰もが思うだろう。
個人的に、この話が一番気に入っている。
かの遊女も、作品世界の片隅でしっかりと生きていたのだ。
|創作ポイント:
「なんか光った!」だけで表現される原爆の描写
印象的だったのは、小説講座の講師が仰った感想だ。
「あんな風に原爆を扱った作品は見たことがない」
「ようやく、日本はああいう表現ができるようになったのかな」
確かに、原爆の表現は一瞬だ。
「なんか光ったよね?」
と、義理の姉が声を上げる程度である。
そこから、遠くの方にキノコ雲。
翌朝、すずが木に登ると、フスマが枝に引っかかっていた。
「あんたも広島から来たんね?」
絵が書けなくなったすずの目に、広島の思い出が絵になってフスマに浮かんでくる。
主人公にとっては、親戚の子を奪った不発弾の方が恐怖の対象だろう。
また、原爆による悲劇は、ラストでも意味を持つ。
まあ、戦争を知らないオレからすると、戦争描写の正確性など判別できない。それは先人にお任せしたい。
|まとめ
日本の戦争描写は、日々変質している。
悲惨な描写だけが、戦争を描くことではない。
●余談
2018年末に、エピソード追加版
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
が公開される予定だったが、延期になった。
2019年に公開予定を目指しているという。