酸欠になる映画 『ゼロ・グラビティ』(2013)
主人公の女性は、宇宙空間の中でスペースシャトルを修理していた。
作業中に、ロシアが自国の人工衛星を破壊。
破片が他の衛星を巻き込んで、シャトルに衝突!
シャトルは壊れ、主人公は重力ゼロの宇宙へ放り出された。
このシーンが長い!
息を乱す場面が延々と続く。
こちらも思わず、同じように呼吸してしまう。
やっと収まったと思ったら、周囲には何もない。
シャトルも消滅し、自分がどこにいるのかも分からない。
おまけに酸素まで不足している。
無線で上官に呼びかける。
どうにか二人は合流に成功。
広大な宇宙をたった二人だけで漂う。
|不安をあおる演出
この映画のポイントは、絶対的な不安感だ。
何もない宇宙に放り出され。酸素も足場も確保できない状況。
絶望の中、上官は主人公を鼓舞する。
命綱一本があるだけ。
とはいえ、上官がいるだけで、安心して前へ進める。
助かったと思わせておいて、またもう一つの災難を配置。
さらに主人公を追い詰めていく。
一時間半の作品で、ここまで詰め込まれた作品はそうそうないだろう。
だからこそ、ジョージ・クルーニー扮する上官の存在が際立つ。
彼のひょうきんでありつつ的確な指示を送る姿に、観客も依存してしまうのだ。
だが、そこでもまた試練が訪れる。
上官の指示で、二人は宇宙ステーションを探す。
だが、そこも損傷していた。
主人公と上官は、ステーションに激突。
ステーションに着いているパラシュートのロープが、主人公の絡まる。
主人公はステーションに取り付けそうだが、上官の方は無理。
このままでは、二人一緒に宇宙へ流されてしまう。
上官は、命綱を外した。
宇宙へ投げ出される上官を、主人公は見守るしかなかった。
|創作ポイント:シナリオの緩急の付け方
優秀なクルーも、突然のアクシデントに弱いことを演出。
予測できていたのに、対処できない。
技術が及びもつかない状況へ、キャラクターたちを追い込んでいく。
宇宙ステーションを給水ポイントとみなし、一旦安心させて、また落とす。
ステーションから脱出しようにも、エンジンが動かない。
救援を求めた無線からは、子どもの泣き声が。
娘を事故で亡くしている主人公は、悲しみに暮れる。
精神状態もおかしくなり、死んだはずの上官の幻まで見るように。
だが、それは彼女を死へといざなっていたわけではない。
生きるヒントをくれたのだ。
このシーンがあるだけで、見る側は酸欠にならなくて済む。
|結論
いかに観客ごと主人公を追い詰めるか。
また、いかに息切れさせないか。
|余談
プロデューサーのデヴィッド・ヘイマンは
「お金を儲けようと思っては、素敵なシナリオはできない」
「自分の内面と繋がる、絶対に語りたいと思うテーマがないとね」
と、インタビューで語っている。