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スリー・ビルボード(2017) 絶対にネタバレから見てはいけない映画

 

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娘が強姦殺人被害に遭った母親の復讐劇

「なぜだ署長?」
「犯人は、いつ捕まるのか?」
「私の娘は、レイプされて殺されたのに!」

 ミズーリ州に、三つの看板が突如として現れた。
 広告を打ったのは、ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド: 塩田朋子)という女性だ。
 彼女は娘のレイプ殺人が未解決であることに納得がいかず、署長に対して抗議の意味を込めた。

 これに対して、署長を好意的に思っている住民は激怒した。
 主に、警察署が。
 差別主義者のディクソン刑事(サム・ロックウェル:加瀬康之)などは、署長に可愛がられていたこともあり、露骨に敵意を剥き出しにする。
 
 ミルドレッドも
「警察はスケボーで絵遊んでいる黒人少年はとっ捕まえるくせに、娘を殺した犯人は捕まえない!」
 と、警察を挑発する。

 街の人気者である署長をディスったことで、ミルドレッドは味方である筈の住民から批難される。
 
 自分を嫌がらせしようとした歯医者の指に穴を空け、ミルドレッドは警察署に呼ばれる。
 取り調べをしている最中、署長が吐血した。
 彼は、膵臓ガンで長くなかったのだ。

 それゆえ、ディクソンも余計に署長を気遣う。

 彼女の味方をする人は、少なくなっていく。
 

舞台が「ミズーリ州」という意味

 本作の舞台はミズーリ州である。

 田舎町であり、いまだに黒人差別が横行しているらしい。
 警官が黒人男性を、リンチして殺害したことでも問題になっている。

 だが、もっとも差別されているのは、他ならぬ白人だという。

 ミズーリの特徴は、「貧しい白人層」という人種が多数住んでいることだという。

 人種の多様化によって、世間から「いらない子」扱いされたことによって、彼らはより卑屈になっている。

 

ポイント:行きつく所まで行った先にある結末


 
 主人公が、神父から看板を取り払うように説得を受けるシーンがある。
 そこでも、主人公は主張を曲げない。

 グループに入ったら、連帯責任だ。
 ギャングでは、クラスタの一人が罪を犯せば全員が罪を背負う。
 神父だって、修道者が罪を犯せば管理責任を問われるのだ、と。

 自分は犯人を見つけ出して殺す。
 そんな主人公のかたくなさが、にじみ出ているシーンだ。

 
 その流れが、ある衝撃的な事件をきっかけに大きく変わっていく。

 奇妙な歪みが生まれ、お話がガラッと変わっていくのだ。

 ここから先は、本編をご覧になった方がいい。

 キャラの表面的な部分しか見えていなかった前半と比べ、キャラの異質な面が浮き彫りになる。
 
 この話の本質は、一つではない。

 誰もが多面的な一面を持っていると、本作は教えてくれる。
  

まとめ

 キャラの本質を知るには、広い視野が必要


余談

 考察サイトも、本編を見終わってから見た方がいい。
 でないとワケが分からない。