当事者による再現フィルム 『15時17分、パリ行き』(2018)
|実話に基づいたフィクション
タリス銃乱射事件に巻き込まれた、三人の若者を描く。
はみ出しモノだった三人の少年は、一度は離ればなれになったが、大人になってからまたつるみ始めた。
スペンサーは軍人、パラシュート救助隊に入りたいと考える。
友人のアンソニーから、
「お前はできないと言わない。やらないだけ」
と指摘され、奮起。
減量し、訓練をして、入隊のテストに合格する。
しかし、医師による検査で無理と診断される。視力に問題があったのだ。
スペンサーが配属されたのは、救急救命などの非戦闘がメインの部隊。
だが、この配属が彼を英雄にする。
人生、何がどう転ぶのか分からない。
偶然や、災いが、いずれチャンスに転じる。
いや、それは必然だったのだ。
この映画は、その必然性をイヤと言うほど思い知らせてくれる。
|当事者を演者に
●この映画のポイントは?
当初、イーストウッド監督は、この映画には俳優を起用する予定だった。
しかし、「当事者を俳優として採用する」という大胆な計画を打ち立てる。
その結果が正解だったかは、この映画の成功を見ても明らかだろう。
この映画は、そういうちょっとした行動が生死を左右する場面が多数ある。
劇中、アフガンへ行くアレクに対し、母親は「あなたはすごいことをやり遂げる」と言って送り出す。
これも、重要な伏線になっていた。
この映画のキャッチコピーにも、三人は運命で繋がっていることを匂わせる。
|「もしも」で溢れさせ、
フィクションを良質なドラマへ
●創作の役に立つ?
本来、ノンフィクションというのは、ドラマにはしづらい。
話の波がないからだ。
だが、この話は「もしも」で塗り固めることによって、偶然は必然たり得ると強調している。
幼少期に三人が出会わなければ。
アムステルダムが居心地よすぎて、パリ行きを強行しなければ。
スペンサーがパラシュート救助隊に入っていたら。
友人のワガママで、Wi-Fiが繋がる一等車両に移動していなかったら。
そう思うと、ゾッとする映画だ。
|結論
全ては、起きるべくして起きた。
また、主人公たちの境遇は、なるべくしてなった。
その強調が、本作を良質なドラマに仕立てている。
|余談
スペンサーとアンソニーは、地元カリフォルニアでもトラブルに遭い、またもや襲撃犯を取り押さえ、オバマ大統領から賞状をもらったとか。
これも、運命だろうか。
また、もし、この映画がNetflixで配信されていなければ、オレはこの映画を見なかったかも知れない。