砂の器(1974) 巨匠すら予測できなかった、加藤剛の熱演!
「カメダ」を追って青森へ
東京の蒲田にて身元不明の惨殺死体が発生される。
「カメダ」という謎ワードを追い、今西刑事(丹波哲郎)・吉村刑事(森田健作)は東北地方を彷徨う。
結局手がかりが掴めないまま、帰宅の途につく。
帰宅時の列車には若手ナンバーワンの指揮者兼ピアニストが乗っていた。
直後、白いものを紙吹雪のように電車の窓から巻いている女性を、新聞記者が目撃。ホステスだという。
捨てた紙吹雪は、容疑者が来ていた血まみれのTシャツかも知れない。
だが、ホステスは無関係を主張する。
捜査が難航する中、被害者の身内が名乗り出る。
被害者は岡山出身の元刑事で、島根の駐在だったらしい。
言語学者によると、島根には亀嵩《カメダケ》という地名があるという!
被害者は伊勢にも顔を出していて、映画館を訪れている。
映画館長の渥美清(!)に、被害者の足取りを調べてもらう。
被害者は映画を見ていたわけではない。
館に飾られていた写真に写る男性と会っていた。
男は和賀英良《わがえいりょう》という。
彼は、刑事二人が乗っていた列車に同席していた、若手指揮者だった。
悲しい犯行動機
ホステスが身元不明の変死体で発見され、和賀がホステスのアパートを訪れていたことがわかり、一気に捜査が進展。
和賀が捜査線上に浮上する。
彼はハンセン病を患っているせいで離婚した乞食の息子だ。
父と子は本籍地の石川県から、徒歩で日本中を物乞いで周っていた。
『砂の器』の原作を知らなくても、お遍路姿であぜ道を練り歩く親子のシーンだけ知っている人は、多いのではないだろうか。
岡山で被害者に面倒を見てもらっていた。
が、家出して大阪の家へ転がり込む。
そこで音楽を学び、今では立派な指揮者に。
だが、被害者に発見され、世間に障害をバラされると思い、殺害に至ったのではと、推理する。
「人情味のある被害者が、よかれと思って出した提案が、かえって徒になった」
というのが真相だったが。
ラスト、コンサート会場へ和賀の逮捕に向かう刑事二人。
吉村刑事は、今西刑事に尋ねる。
「和賀は父に会いたかったのでしょうか?」
今西刑事は返す。
「彼は音楽を通じてしか、父親と会えないんだ!」
和賀の過去に触れたからこそ出た、魂の台詞だと思う。
ポイント:掟破り
映画監督の黒澤明監督は、本作のシナリオを一蹴したという。
冒頭の東北をうろつくシーンは無駄だと断じたらしい。
「和賀の愛人が。窓から破ったTシャツを紙吹雪のように捨てるシーン」
などは、「トイレに流せば済むじゃん」と吐き捨てたという。
だが、野村監督は黒澤監督の言葉を無視し、シーンを強行した。
結果、映画は大ヒット。
黒澤監督は、何も言わなかったそう。
本作の成功は、監督の狙いもあるが、こだわり抜いた挑戦的な手法も評価されたのではないか。
加藤剛の熱演、創作理論を無視した型破りな演出など、映画の可能性を広げた名作と言える。
このように、名監督でさえも予測できなかった、凄みのある映画だったのである。
まとめ
たとえ型破りでも、先人の忠告があったとしても、
「面白いモノは面白い」
と信じれば、うまくいくこともある。
余談
松本清張原作、山田洋次脚本作品。
監督は、渥美清版『八つ墓村』、美空ひばり版『伊豆の踊子』を手がけた野村芳太郎。
あの伝説的ホラー映画『震える舌』も、野村監督の作品である。